ムスメ2、旦那1、猫2、と働く日々、暮らす日々。
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3/18(Sat)
家のプランニングをお願いしている建築家のYさんが設計した新作の住宅を見学に行く。父は来れず、旦那と母、リリコの四人でひたすら電車に乗って東京都下の新しい住宅造成地へやってきた。 「その7」をまだ書いていないので話が前後してしまうのだが、私達夫婦の家の現在のプランは一辺が流線型になっており、内側が吹き抜けの階段になっている。その辺りが似ているのでぜひ見に来て欲しいとの話だった。 かなりの傾斜地に、三階建ての劇場ような外観である。 入り口で手袋をはめ(手の跡がつかないように)、履物を履き替える。 1F 来客用和室、物置 2F LDK バスルーム トイレ 3F 主寝室 子供室 このような感じのいたってシンプルな構成。 だが、なんか落ち着かない。 モダンすぎるわけではない。 流線型の建物は好きだし、いいなと思っていたが ここに来て考えが変わってしまった。 小さな建物に取り入れるのは趣味じゃないかもしれない。 ダイナミックな割には空間への効果が少ないと思う。 そのために結構なコストをかけるのは気が引けるな・・・。 立ち話ベースでYさんと要望や質問を交わす。 昨日までに皆で話して決めたことだが、 賃貸住宅の併設無しのパターンで考えてほしい旨を伝え、 次回打ち合わせの日程を決定。 |
建築家Yさんが実家の敷地と家屋を下見に来ることになった。
取り壊し撤去費用の算出や、使える素材探し、周辺環境などを調査するらしい。 時間より少し早く、アシスタントの方と2人で到着。 増改築時の青図面と敷地図などを元に増改築の経緯を説明し、家の中と外を案内する。かなりの枚数の写真を撮っていらっしゃった。 一通り説明と案内が終わってから、私達へのインタビュー。 親世帯と子世帯に分けてお話をしていったが、父母のほうが前前から家の計画をしていただけあって、具体的である。途中からO君新居の話を持ち出して平面図を書き出してしまう母。要望を伝えて 私のほうはといえばかなり抽象的・・・。 * 視線ができるだけ遠くに伸ばせるように * 風と光が駆けぬける家 * 陰影礼賛 * 空と水を感じたい * 冬暖かく夏涼しく * 素材の工夫でコストダウンを * 自然素材を効果的に使ったシンプルモダン で、イメージ画像を二十枚くらいお見せして、那須の二期倶楽部本館や、コンランの家具、ドイツの現代建築も好きだということをお伝えした。 なんとなく趣味はわかって頂けたとおもう。 その後、敷地の中の建物の配置について、実際に何パターンか例を示してもらい、少し現実感が沸く。 三週間後に最初のプレゼンテーションをしていただく予定で、非常に楽しみである。 |
建築家Yさんと顔合わせ。
とても実直で仕事を愛するエンジニアという印象。だけど、作ってるものは柔らかくて味があって素敵なんだよね。作曲家にはよくこういうタイプの方がいるなー。 営業トークではなく、かなり専門的なお話に終始したため父母は目をシロクロしていたが、仲介者の方が的確にフォローを入れて下さり、いろいろと納得する。Yさんも実家の古い造りと日本庭園に興味を示してくださったよう。 Yさんに実際の敷地を見ていただいて、第一案の提案をしていただくことに決めた。とても楽しみである。 後から皆で話したのだが、東京西側に住んでいる建築家の方が多い中、Yさんは某下町に住居と事務所を構えている。下町は私達の故郷である。そこを選択したYさんにはきっと通じ合うことのできる何かがあるような気がした。 珍しく両親と旦那サマ、リリコ、私の五人が揃った為近くの「紅虎餃子房」でお食事。名の知れたチェーンだけど父にはもの珍しかったようで好評だった。 |
ある方からの紹介で、建築家のYさんとお会いすることが決まった。
何人かの作品集を見てみたのだけれど、これまで作られた建築物の写真やポリシーに共感するものがあったからだ。 また、芸術家タイプではなく、理論と数値を積み上げて機能美を作る方だということも私達にあっていると思った。父も旦那サマも理系なので(笑)。 お会いするにあたって、家作りサイトを見てみるとこちらのプロフィールや趣味、趣向を知って貰うことが大事らしい。 EXCELで「プロフィールシート」と「こんなところに住みたいなリスト」を作成して持っていくことにする。 美容院と同じで、口で言った印象というのは的確に伝わりにくいので、心地よいと思う風景やインテリア写真等をランダムに抽出して持参するよてい。 めんどくさいかなと思ったけれど、結構面白くなってきた♪ |
旦那サマに相談した。
正直、実家の敷地内に別棟とはいえうちの両親と一緒に住むのは気が引けないか?と。まー、普通嫌だよね。うん。 ところがあっさりと、「別に気にしない」と言われてしまったので私のほうが驚いた。情緒的に「そりゃ嫌なんじゃねーのか??」と考えていた私と比べて 彼の考え方は、 私の妹2人は外の長男にそれぞれ嫁いでいるからここから離れるかも。 私達夫婦はフルタイムで共働きするため、リリコや私へのフォローが期待できるのは自分も安心。 私の両親の健康が不確かだからいざというときに離れていておたおたするのは大変。 自分の家は弟がきっちり継いでる。 ということだった。確かにそのとおり・・・。 だったら、、土地があるんだから上物建てちゃったほうが当然安上がりであるし、話は早い。 実家の建て替えについては、かなり以前からハウスメーカーの選定をしていたんだが、結局これといったところが見つかっていなかった。両親も展示場へ行って、あれこれ見ていたみたいだが、 「坪○○万の基準価格で住宅展示場の仕様なんてまるっきり無理だよ~??」 といったら目を白黒・・・。 母が絶賛していた、前述のO君とO君のご両親の家は建築家設計の注文住宅で、劇的ビフォーアフターや建物探訪みたいに(母談ww)ステキなおうちらしい。 確かに、うちのお庭や古い柱や欄間やその他いろんなものを生かして家を作ってもらえたら最高ではないだろうか。みんなの数十年分の想い出があるのだ。 私達だけの家を設計してもらいたい! 若干面倒くさそうだけど、数千万円の一世一代の買物である。両親に概要を話すと、じゃあ建築家に設計依頼するってどんなものなのか話を進めてみようじゃないかということになった。 |
マンションか、一戸建てか。
賃貸か持ち家か。 都心部か郊外かはたまた実家の近くか。 品川に住んでた頃、まわりにぼこぼこマンションが建設されていた。チラシを見ると、供給過剰で場所グレード的にかなり安め。通勤も楽だし本気で買おうかと考えたが、妊娠出産で引越しした為立ち消えになった。 さて、妊娠中実家近くに戻ってきて見たらやはりこちらもマンション建設ラッシュであった。住宅街のため、大型物件はあまりない。でも品川に比べたらきっと安いに違いないと踏んでいたのに思いのほか高いのだ。むしろこっちのほうが高いかも汗。大きな土地がどかっと出ることがないからなんだろうけど。土地も意外に高いんだよね。 そして、出産前後。両親が相次いで病気になった。特に母は近くに人がいなかったら助からなかったかもしれない。便利で見晴らしのいいところに住みたいのはヤマヤマだったが、遠くに引越してしまったら何かあったときどんなに大変かは今回身に染みてわかった。雑事をサバける人がいればいいんだけど、そういうキャラが他にいないのだ。 親の未来の病気が心配で離れたところに住めないなんて馬鹿げてる。 確かにそうなんだが、母の脳内出血は私の大きなトラウマになってしまったようだ。電話に出ないと「倒れているんじゃないか」と不安になって何度実家に確認に行ったことか。退院してすぐの頃は、私も少しノイローゼ気味だったかも。 父と母の入院で、一気に実家の問題が現実的になった。バリアフリーとは程遠いのだ。もちろん車椅子なんかで移動できないし、段差も温度差もものすごい。今回は誰も後遺症が出なかったけれど、次に何かあったときでは遅い。やっと父も重い腰を上げてくれた。実家は建て直す事にほぼ決まった。 「どうせなら一緒に建ててしまえばコストが削減できるんじゃないのか?」 という話がでてきた。一戸建ては確かに魅力的である。しかし二世帯住宅を建てたはいいけど、子供世帯が出て行ってしまった話は沢山ある。会社からは遠いし見晴らしのいい所に住む夢は消える。また、なんと言っても、私の実家の敷地内に住むことに旦那は抵抗があるんじゃないだろうか。普通あるよなあ・・・。 |
去年12月から計画していたサイパン旅行が実現しそうなところで、かれこれ十数年前から頓挫していた、計画が動き出した。動き出させることに成功した。
それは、家を建てること。 私の実家はこのあたりでは抜きん出て古い造りである。東京下町で小さな軍需工場をやっていた祖父が昭和16年の日米開戦当初に「帝都空襲ノ恐レアリ」と懸念し、少々外れた今の場所に中古の日本家屋(畑の中。下級華族の妾宅だったらしい)を購入した。 その後工場付近は昭和20年3月10日の東京大空襲で壊滅。日本家屋に移り住んだのである。というわけで、庭に元防空壕だった小山が二つと石で出来た防空用水がある。 増改築してるけど、母屋はほとんど当時のそのままだ。従って・・・ 趣があるといえば聞こえがいいが、風は抜けるし、柱は微妙に傾いてるし、客間は南にあるけど台所(元は土間)や茶の間(死語?)といった家人のスペースは北側で真っ暗という典型的な日本の造りで、住みにくいこと甚だしい。気密断熱など無いに等しいし無駄に広いので光熱費が10万を越える月もしばしばである。 (´・ェ・`) んで、今からさかのぼること、十数年。 まだ祖父が健在だった頃に建て直しの第一回目の設計図が出来上がったが、途中で祖父が病気になったため中断。建て替えになぜか乗り気でない父もあってそのまま放置されていた。が、そこに11年前の阪神大震災である。 「倒壊危険度チェック」100点満点。 建て替えるか直すかして欲しいと大騒ぎしたところ、やっとのことで耐震リフォームをする気になってくれた。筋交いを入れたり瓦を撤去したりして、なんとか「一気につぶれて人が死なない程度」に。 そのまま心配した地震も来ず、数年が過ぎた。 私は結婚して実家近くに戻ってきた。気がついたら幼馴染達は軒並み家持ちになっていた。それも豪邸&超高級マンションのオンパレ(自分のお金じゃないわけだが)。なぜだ!! 物凄く仲の良かったO君。子供も生まれたそうなので見に行こうとしたら、母曰く「すごいおうちよー。しょんぼりするからやめなさい(笑)」だと。それが娘にかける言葉かよ・・・。 他人は他人。 そうですね。 でも、ごめんなさい。そこまで人間出来ていません。 羨ましいに決まってるじゃんっ! それに、しばらくして気がついたんだけど、借りているマンション、どうやらプロの清掃を入れていないっぽい。リフォーム直後だからわからなかったけど、見えないところがあちこちとても汚いのだ。特にキッチンの扉の下側とか、油とホコリでべっとり・・・。リリコが動き出したら一番にほじくりそうなところである(汗)。 ぜーーーったいやだ!! というわけで、まずは今後の住居計画をどうしようかと考え始めたのでした。 続く。 |
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